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#11 ダイダラボッチ

ダイダラボッチ(デイダラボッチ、でいらぼっち、とも言う)を知っていますか?

日本各地で伝承されている"巨人"のことです。
とにかく巨人のお話ですから、スケールが違います。それくらいの規模なのかはこれからお話します。

ジブリアニメの『もののけ姫』の中でも、シシ神の夜の姿として描かれていました。
・・・イメージとしてはあのように、巨人です。
このダイダラボッチの伝承が、相模原の淵野辺を中心に残っているので紹介します。


『ダイダラボッチ伝説』
大昔、とてつもなく大きな大男がいました。ダイダラボッチです。
その大きさは雲にも届いてしまうほどでした。
あるとき、日本の西のほうにあった富士山を、大きな山がなかった東の方に移そうと、ダイダラボッチは藤づるで富士山を背中にしばりつけて背負い上げ、東方(相模の地)へ歩いて行きました。
(いいですか、富士山を背負っています!)

しかし、途中で疲れてしまいました。
背負っていた富士山をドスーンと降ろし、大山に腰かけて休憩をとりました。
(いいですか、大山がベンチ代わりです!)

さて、移動を再開しようと富士山を持ち上げますが富士山は地に根が生えてしまったかのごとく微動だにしません。
縛っていた藤づるを引っ張っているうちに、藤づるもちぎれてしまいました。
代わりの藤づるを探そうと、相模の地をあちこち探しましたが見つかりませんでした。
「もう、藤づるはここに生えるな!」と腹を立てて、地団駄を踏みました。

富士山大移動計画は失敗に終わり、富士山はその場に置き去りにしてダイダラボッチはどこかへ行ってしまった。


という伝説です。これ以降、富士山は誰にも動かすことができず、富士山は私たちが知っている今の場所にとどまっているというのです。また、藤づるは、この一件により、相模原には生えなくなったとも言い伝えられています(いや実際には生えますが…)。



ダイダラボッチゆかりの地
かつて淵野辺には、ダイダラボッチが休憩を終えて、もう一度富士山を持ち上げようと踏ん張ったときにめり込んでできたとされる沼がありました。
踏ん張ったのは両足なので、沼は二つありました。
しかし、沼は現在はどちらも街の発展で埋め立てられてしまい残っていません。


鹿沼 = 踏ん張った左足
IMG_0880.jpg

淵野辺駅の南口からすぐのところにある「鹿沼公園」の真ん中付近に大きな池(白鳥池)があります。
ダイダラボッチ伝説を名残として伝えるため整備されています。

IMG_0898+

公園内にある看板でみるとわかるように、この池、足の形になっています。洒落ていますね。
ただ、左足とされているんだが、右足っぽく見えてしまう…。
ちなみに上の池の写真は、ちょうど"土踏まず"辺りの橋から撮ったものです。


菖蒲沼= 踏ん張った右足
"右足"とされる菖蒲沼は淵野辺駅北口から青山学院大学相模原キャンパスへ向かう途中にありました。
しかし、鹿沼と違い地名にも、池もなく、全く沼があった名残がありません。
DSCN0336.jpg
(現在はこのように、工事が進んでいます。2016年7月撮影)

今、かつてここが沼だったことは写真の碑でうかがう他ありません。
IMG_0899.jpg
歩道にぽつんとあります。知っていましたか?

ちょっと調べてみると、昭和36年の空中写真に菖蒲沼が写っていました!
淵野辺周辺_(S36)
「国土地理院撮影の空中写真(昭和36年撮影)」

沼の2ショットです!思ったより菖蒲沼は大きいですね。
ちなみにこの約20年後・・・
淵野辺_(S54)
「国土地理院撮影の空中写真(昭和54年撮影)」

テニスコートになっていました(汗)(現在は先述の通り、さらに開発されています。)


昔の淵野辺を想像してみる
そもそも、淵野辺駅が開業したのが明治41年のことです。
周辺は昭和に入ってからも上溝一帯まで人家がない状態で田畑や森だったようです。
戦争によって、陸軍の施設が進出してきたのが昭和10年代に入ってからですから、それまではもっと人の足が踏み入れられていないところにひっそりと沼がたたずんでいたのでしょうか。
いずれにせよ、今の淵野辺駅周辺からは想像もできません。



実はこんなところにも名残が・・・
県道57号線(国道16号淵野辺交差点を駅方面に曲がる)の歩道に、こんな目印が立っています。
IMG_0901_.jpg


以前、運転中の車内から見つけて「沼?」と思っていたのですが、「じんだら」とは方言で地団駄を意味する語のようです。
この「鹿沼」と「菖蒲沼」は、ダイダラボッチがイライラして地団駄を踏んだ時の足跡からできたものという表記もあります。
そのことから、これらの沼を「じんだら沼」とも呼んでいたのです。
それを伝える看板が、こんなところに本当にさりげなく建っています。



「ダイダラボッチ伝説」に関しては、関東、富士山を中心に全国的に知られており名所も多くあります。
もともとの地形、山、湖の成り立ちに結び付けて伝えられていて面白いですね。
相模原には、鹿沼だけでなく他にも昔、沼だったところや窪地になっているところなどにダイダラボッチ伝説が根付いています。
その辺は機会がありましたら・・・

おまけ
神奈川には他にも、巨大なお坊さんが富士山を藤づるで引っ張っていたら頭の部分が欠けて相模原に吹っ飛んできたという昔話もあります。ちなみに、その吹っ飛んできた富士山の一部が今の宝が峰(城山)なのだそうです!
色々調べてみると、たくさん出てきそうです。
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コメント

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No title

おっ、よく見つけましたね。
菖蒲沼の空撮写真、こんな大きさがあったとは意外です。
てっきり軍事都市化の際に埋められたものと、
早合点してましたので、この頃まで存在していたのも意外です。

Re: No title

いつもコメントありがとうございます。
写真で昔の風景を知ることができたときというのはちょっと感動があります。
この手の沼は、他にもあったようですので調べています。